『おみやげと鉄道』との不思議な関係!

『おみやげと鉄道』 〜名物で語る日本近代史〜
http://www.amazon.co.jp/おみやげと鉄道-名物で語る日本近代史-鈴木-勇一郎/dp/4062181568
(立教大学立教学院史資料センター学術調査員・鈴木勇一郎博士)


『おみやげと鉄道』の著者、鈴木勇一郎博士が”なにわ名物開発研究会”で講演されたのでご紹介させていただきます。


【ポイント】
古い時代、”みやげ”は、日持ちがして、軽くて、持ち運びしやすいもの薬や神社のお札などで
安倍川餅のような食べ物は茶店で食されるものに過ぎなかった。
しかし鉄道、東海道線が全通した頃、移動時間が飛躍的に改善され、それ以降、菓子のみやげが発展することとなった。
また名物としてさらに発展させたのが、駅での立ち売りだ。
連呼する言葉を聞いた人が全国にその名物の名前を伝播させた。

講演は時間の制約があり事例紹介は少なめだったが、著書の中には、明治39年に発行された『風俗画報』に掲載されている
当時の名物の紹介も満載です。
もしお時間がありましたらご覧ください!


【講演メモ】
・ 大英博物館で2001年に『現代日本のおみやげ展』が開催されている。西洋から見ると日本のみやげ文化は奇異に映るようだ。
・ 日本にはみやげについて調べられたものがほとんどなかった。みやげに関する資料もない。
・ 日本の「みやげ」は、他人にあげるもの(お菓子)だが、欧米では「スーベニア」、自分のためのメモリアルとして買うもの。
・ おみやげの起源は『宮筍(みやけ)』。 神仏にお祓いをしてもらい、お札等、神仏の「おかげ」を分配するというのが有力説だ。
・ 江戸時代のみやげは、楊枝、薬、ウチワなど、日持ちがして、軽くて、持ち運びしやすいものだった。
・ 鉄道(明治22年に東海道線全通)が開業して、短時間で移動できるようになり、みやげも変化してきた。当時は、駅での立ち売りが主体だった。
・ 江戸時代、「安倍川もち」は静岡の安倍川の畔で売られたが、鉄道ができて、駅で売るように変わった。
 それは販売方法が変わっただけでなく、茶店で食べるものから、みやげに買っていくものに変わっることだった。
・ 小夜の中山は「飴の餅(焼き餅に水飴をかけたもの)」が名物だったが、東海道交通のメインルートから離れることにより急速に衰退した。
・ 駅で“連呼”されることにより知名度をあげたみやげに、「大阪の粟おこし」「岡山のきびだんご」などがある。
・ 日清・日露戦争での兵隊輸送に鉄道が利用され、名物の知名度も全国に広がった。
 出征の餞別を近所から貰い、みやげを購入する必要が生まれた。
 日清戦争の頃、「吉備の団子」を売るようになり、鬼退治伝説とつながって、「きびだんご」が全国的名物となった。
・ 江戸時代には無くて、近代になってでてきたものに「柿羊羹」がある。
 東海道線に大垣駅が作られ、名物の干し柿を羊羹にした「柿羊羹」が創作された。
 明治28年、京都の「第4回内国勧業博覧会」に出品され、高い評価を受けた。
・ 京都の「八つ橋」も「第4回内国勧業博覧会」に出品し、明治30年以降に生産量を急増させた。
 明治38年に七条駅(現在の京都駅)で立ち売りを始め、大正4年の「大正天皇御大典」の時に菓子の名門として知られ、
 大正末期には他の京都名物菓子を大きく引き離した。