『1970年大阪万博から今日のインバウンド観光までの流れ!』講演概要

「時代の流れを読む」事業を通じて学んだ事
〜1970年大阪万博から今日のインバウンド観光までの流れ〜
(平成28年9月5日)
参加者数:35名

亀岡育男 様
(株式会社初亀 代表取締役)


亀岡育男さまは、1970年大阪万国博覧会に20歳で出店され、以来45年で国際博覧会・地方博覧会・大規模イベント等に200店を超える飲食店を出展された。

1970年「大阪万博」は、入場予定者数4500万人であったものが6400万人入場され、食単価600円で384億円という食マーケット規模になった。
4500万人のところに6400万人来られたので、本当に大きな成果を上げることができた。
1975年の「沖縄海洋博覧会」は、マーケットとして厳しいことが予想されたので出展しなかった。
1985年の「つくば技術博覧会」は、予定入場者数を2000万人とされているが、4000万人は入るだろうとの思惑のなかで計画され、2033万人しか入場されなかったため、客単価1000円になったが全体の食マーケット規模は203億円と厳しいものになった。 
情報を入手した時は間違いなく大きなビジネスチャンスになると思い、6店舗を応札し、600人を雇用し万全の体制で臨んだが、初日から入場者は少なく、”失敗する”ということを味わった。
それ以降、マーケット予測として、何店舗の出店があり、何㎡あるかを計算し、しっかりとした需要予測をするようになった。

この時期から「地方博」ブームが来て、毎年4ヶ所程度開催された。
1990年、大阪市政100周年を迎え「国際花と緑の博覧会」が開催された。実務者のボランティアとして運営企画に参画することになった。これまでの博覧会では、営業者は金儲けに来ているのだからとヨソ者扱いだったが、「お客様と接するのはコンパニオン、ガードマン、店舗の従業員。これらの意見を大切にしないでどうするのか」との意見が出て、実務者も交えて検討を進めたのが大成功の要因だったと思う。
この博覧会の「マジカルクロス」という遊園地でビアフェスタをやることとなり、ミュンヘンのオクトーバーフェストをモデルに実施することとなった。

この頃「ラスベガスが凄いことになっている」との話が聞こえるようになり、視察に行った。
ラスベガスの歴史は、1931年にギャンブルが合法化され、1946年にマフィアが入り「フラミンゴ」が作られ大歓楽街になった。1966年にはハワードヒューズがマフィアを追い出し健全化した。1989年スティーブ・ウィルがホテル「ミラージュ」を開設してMICEの原型を作った。
当時ショーマンの憧れは、ブロードウェイに出演するかムーランルージュに出演するかだったが、ギャラの高いラスベガスを目指すようになった。
飲食業の視点でも、世界のトップクラスのレストランが並んでおり、食事を楽しむ場所となっていた。
ラスベガスがMICEの方向に進むこととなったが、マカオは賭博シティになっている。これはお客様がその雰囲気を作っているのだと感じた。

2005年、行政もお金がなくなり、地方博も開催されることがなくなった。
博覧会が大きなビジネスだっただけに打撃を受けたが、「国際花と緑の博覧会」で経験したオクトーバーフェストの簡易版を天王寺公園で展開することとした。オクトーバフェストは、ドイツビール、ベルギービールを飲むイベントだが、フォークソングで老若男女が踊る”盆踊り”のようなイベントにしたいと思い、そのため盛り上げのスタッフを増やしている。

これまでの経験のまとめとして、
①時代の変化に適応する(今良いものが明日も良いとは限らない)
②独自性(オリジナル)と多様性をあわせ持つ(強みの育成)
③攻める (常に攻めていて現状維持・挑戦により人財は育つ)
④己を知る「知っている事と出来ることは異なる。」(規模の拡大より長寿企業をめざす。幸せな成功を実感する)

博覧会のフードビジネスにおける成功と失敗についてノウハウから、企業の理念まで奥の深いお話を聞く機会になりました。
亀岡さま、ありがとうございました。